『ダマスカスギヤ -東京始戦-』を遊んでいます。

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ロボットって、カッケー・・・・・・。

 

みなさんこんばんは。ゲーム、してますか?

「話題のゲームは発売日に店頭で並んで買うもの」ーーー。ポケモン金銀あたりの時代のゲームって、そんな感じだったと思います。

たしか、FF9DQ7って同じくらいの時期に発売されたんですけど、注目度の高さとグラフィックのレベルの高さから、店頭の様子がNHKのニュースで取り上げられたりしてたんですよね。

あとは、PS2のときだったかな?「物売るってレベルじゃねーぞ!」のおじさんがフリー素材になったり。

自分の中での「ゲーム」って、手に取れる喜びありきの存在なんですよね。大事に家に持って帰る、箱の表面が剥がれないようにテープを剥がす、箱を棚に並べる。そのフェーズからゲームの体験が始まっているというか。

 

というのがあって、ゲームのダウンロード購入ってどうも損をしているような気がしていました。

ダウンロード購入って、箱を開封して「箱どこに並べよう?」って考えたり人と貸し借りするとかが出来ない。(大人になってからゲームの貸し借りを する/したい という場面はないけれど…。)

店頭に行かなくていいし、発売日の0時からでも遊べるというメリットはあるけど、その分犠牲になっていることもあるなという思いが拭えませんでした。

 

と、すっかり「あの頃はよかったおじさん」になってしまっているわけですが、最近ダウンロード購入の良さがわかってきました。

 

ズバリ、「期間限定セール」です。

 

そう、あの『ダマスカスギヤ -東京始戦-』と、その続編『ダマスカスギヤ -西京EXODUS-』が何度目かわからんセールをやっていたわけです。

『ダマスカスギヤ -西京EXODUS-』(さいきょうエクソダス)は個人的に2020年声に出して読みたい日本語ランキング1位タイ。

たしか42%オフという縁起の悪いセールで、『東京始戦』が990円、『西京EXODUS』が1181円で買えました。2000ポイントぐらい溜まっていたので実質タダです。

11月25日までだったと思うので、この記事を読んでいる皆さんは定価で買うしかありません。残念でした。

Switch用のSDカードも買ったことだし、セールで良いのを見かけたらドンドン買って積んでいくぞ!!!奥さんにはナイショだ!!!

 

ではゲームのレビュー行きましょう。

 

 『ダマスカスギヤ -東京始戦-』ってどういうゲームなんだ・・・?

スクリーンショット2枚で説明します。

 

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はい。ミライちゃんがあまりに可愛い。「まったく未来のないこの時代になんとも皮肉な名前ですよね。」は2020年声に出して読みたい日本語ランキング1位タイ。

かつて天才科学者が開発した【ギヤ】が、ある事件を境に【レイジ】となって人類に襲いかかる。人類の8割が死滅した世界で、【対レイジ特務組織フレイヤ】の一員として【レイジ】に立ち向かっていく、そういうストーリーです。

人類に失望した天才科学者、了解です!!!

人類に反旗を翻す機械、了解です!!!

"特務組織"の概念、了解です!!!ありがとうございます!!!

操作やシステムなどは適当に操作してなんとかしていきましょう。

ミライちゃん、このあとマジでなんの説明もしてくれないからすごい。

 

ゲームの構成は非常にシンプルで、「ミッション受注」→「ドックでのギヤ整備」、これの繰り返し。

インターフェースはかなりスッキリしており、ゲーム起動からミッション受注までかなり早い。余計な待ち時間がほぼない。ダマスカスギヤやるぞ!!!と思ったらすぐに出来る。

ミッション内で上のようなダイアログでストーリーが進んでいく感じ。

ストーリーゲーか?というとそうではない。

 

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「ロボ×ハクスラ」と触れ込みにあるように、ハクスラ要素、つまりギヤの"パーツ収集"がこのゲームの核。

このステータス画面、ワクワクしません?しませんか、そうですか・・・。

このゲームにおいて自キャラの強さを左右するものはすなわちギヤの性能。ギヤは頭・胴体・腕・脚・肩・右手武器・左手武器・背中武器の合計8部位のパーツで構成される。敵を倒して手に入れたパーツを付け替え付け替えし、どんどん強くなっていくのがサイコーに気持ち良いゲームだということです。

敵を倒してパーツを拾う→ミッション完了後に拾ったパーツの性能を確認する→強いパーツであれば付け替えて次のミッションへ→以下繰り返し・・・。

「このスキルはどうなんだろう」といろいろ試すのが楽しい。「攻撃力の数値はめっちゃ高いけど、遅すぎて使えね〜!」とかもよくある。

当然ながらパーツによって見た目も変わる。それだけでもかなり満足度は高い。純正一式で揃えるのもカッコいいし、性能重視のツギハギもイイ。

 

ただ、ゲーム内でスキルの効果を確認できないのはちょっと困った!

いきなり「一撃必殺 Lv.2」とか「レアシリアル+100%」とか言われてもなんのことかわからん!公式ホームページに書いてあるけど!!ゲーム内にヘルプを付けて欲しい!もしくは紙の"取扱説明書"が欲しい!

 

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日本語のフォントが明朝体で、数字・アルファベットがOCRフォント。"日本国製工業機械"といった雰囲気がよく出ていてGOOD。フォントは大事だ!

ディアブロ3やってるときはもっさりしたゴシック体が気になった。会話文とかはさておきダメージの数字が特に味気ないんだよなあ。ローカライズ版だから仕方ないのだけれども。

 

閑話休題

パーツの種類は多いが、バランスは割と大味。ぶっちゃけ、使える武器とそうでない武器が結構はっきりしちゃってる。

上のスクリーンショットのように、めっちゃ光ってる太いレーザーは強いです。レーザーというのはめっちゃ光っていて太ければ太いほどよいとされています。敵をまとめて、溜めて、撃つ!以上。覚えておいてください。

一方、剣や刀などの近接武器はやや厳しい性能。敵に攻撃されるリスクが高い分威力も高いのかと思いきや、遠距離武器よりも威力が低いことが多い。

めっちゃ振りかぶってバイルバンカーをズゴーン!!!!!てやってるのに、遠くからチョコンとライフルを当てる方が強かったりする。パイルバンカー、お前!!!しっかりしろよ!となる。

 

ボスのHP全然削れねーよ!という場面もあれば、なんとなしに拾ったパーツを試したらモリモリ敵が溶けていったりする。

ダウンとか無敵時間という概念がないので、弾幕が濃いところでボーッとしているとあっという間に死ぬ。

途中行き詰まったところがあって、ネットで検索したら「火炎放射器が強い」と書いてあったので試してみたら実際にめちゃめちゃ強くて笑ってしまった。火炎放射器が強いゲームってあんまり無いから一回も使ってなかったわ。手が届くぐらいの範囲にボボボッ…て火炎が出て、触れてる敵がドンドン溶けていく。地味!!!

 

ある程度パーツが集まってくるまではもっさり感が否めない。機動力アップのパーツが手に入るまでは結構我慢が必要かな。

デフォルトだとギヤが進むスピードが遅くて若干イライラする。マップを行ったり来たりしないといけないミッションや逃げる敵を追うミッションがちらほらあるのも一因か。

初めて機動力160%みたいなパーツを手に入れた時は、『新機動戦記ガンダムW』でトールギスが初めて登場した時みたいな衝撃がある。あれは人が死にますからね。

 

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自分のギヤはカラーリングもネーミングも可能。漢字も使える。

ミライちゃんが「千日前二号」って呼んでくれる!!

カラーリングは地味めの色しかない。"ダマスカスギヤ-鳥貴族EXODUS-"をやろうとしたが黄色も赤色もパッとしたのが無かった。

 

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フレイヤ】の皆さんのどことなく抜けているやり取りも本作の見どころ。ミライちゃんをはじめ、皆結構ふざけてる。テキストが良い。

老若男女でふざけ合うタイプの少数精鋭部隊、了解です!!!ありがとうございます!!!

上のスクリーンショットは上司のムツミネ課長。この後会議室へ資料を届けに行くのだが、「ごめんごめん!会議室間違ってたわ!」と行ったり来たりさせられる。現実かよ。でもムツミネ課長は好き。

 

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フランクな会話がより一層絶望的な世界観を引き立てているような感じがある。キャラクターボイスは無いし、立ち絵すら出てこないが、いつの間にか引き込まれている。

 

が、戦闘パートの味方AIがちょっと微妙で興醒めしてしまう。

一緒に出撃する味方のAIがちょっとおバカ。序盤からあっさり死にまくる。敵が強いミッションなら仕方がない部分もあるのだが、知らん間に勝手に脇道に入っていって敵に引っかかって死んだ、みたいなときがある。HPが0になると今生の別れみたいなセリフとともに居なくなるのだが、キャラクターがロストするということはなく次のミッションで何食わぬ顔でヒョコヒョコ出てくる。で、また死ぬ。

「今回はエースの○○さんがいるから安心ですね!」とか言われても「あいつこの前あっさり死んでたじゃん!」となる。闘技大会の決勝は「お前!!!!!!」と言わずに居られなかった。肝心の戦闘でもうちょっと緊張感を持てよお前ら!!それが仕事だろうが!!!

 

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多少荒削りな部分はあるが、ロボット作品として最も重要なロボットのカッコ良さはバッチリ!!!

敵機も味方機も個性があって非常に良い!おれのスクリーンショットが下手くそなのであまり良く見せられていないが!

というのも、自機のパーツ図鑑みたいなものはあるが味方機や敵機をしっかり眺められる機能がないからです!アークシステムワークスさん!お願いします!

 

全体の進捗としては半分いくかいかないかくらいかな?ミッションの難易度は結構上がってきた。ストーリーも佳境。果たして人類の未来は?!

次作も含めて楽しみだ!

 

最後にハクスラあるあるを言って終わりにします。

 

「酔ってて頭回らんし簡単なダンジョン何回か周回して寝るか〜」と思ってるとき、寝落ちがち

 

以上です。よろしくお願いします。

『ディアブロ3』ストーリーモード全クリしました。

10月にSwitch版のディアブロ3が半額になっていたので買いました。一年以上悩んだ末の決断。サンキューブリザードエンターテインメント!買っておいて大正解でした。

今はもう半額ではありません。買っていない皆さんは残念でした。

 

とりあえずストーリーモードをクリアしました。

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▲これがおれ。あまりにカッコいい。

 

主人公、つまりおれ自身があまりにかっこよかったので紹介しようと思います。

 

日本のRPGとかアニメの主人公ってナヨナヨしたのが多いじゃないですか?全編通して主人公の自分探しに付き合わされるみたいな節あるじゃないですか?こんな男のどこがいいんだよみたいな奴が女にモテまくるじゃないですか?嫁を選べるシステムとかあるじゃないですか?嫌いじゃないけど。なんなんですか???

ディアブロの世界はそんな甘っちょろいもんじゃないんですよ。ディアブロの世界では天使と悪魔が永劫の戦争をしています。「天使と悪魔?永劫の戦争?」黙れッ!!うるせーッ!!そう言うことなんだよ!

天界の征服を目指す悪魔にとって人間なんてものは虫ケラ以下。人類は常に滅亡の危機。

天使が守ってくれるのかと思うとそうでもなく、平気で「馬鹿な人間どもを救う必要がどこにある。あんな奴ら勝手に死んでしまえ」みたいなことを言う天使界の右翼みたいなヤバいやつが出てくる。

皆生きるのに必死で、人間同士でもお互いに足を引っ張りまくるし、そこに天使や悪魔の魔力が絡んでくるから余計に醜い争いが起こる。騙し合い、殺し合いのオンパレード。世界、最悪じゃん……。

そこに現れるのが主人公。"ネファレム"という特別な存在で……

 

ディアブロの世界観はおれ自身も詳しくないのでここで割愛。要するにディアブロ3に出てくる奴らは天使も悪魔も人間も関係なくクズばっかりだということです。ダークファンタジーとはそういうものなのです。それはもうひどい。誰も信じられない。

 

信じられるのはただひとり。

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この私だッッッッ!!!

 

Q.敵のボスに大切なアイテムを奪われた!どうしたらいいですか?

A.

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物だけ返してもらってバイバイ、では済まない世界。ゴメンで済んだら警察いらんねん!

 

 

Q.敵が城壁を破って侵入してきた!どうしたらいい?

A.

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攻撃は最大の防御ってワケ。クレームが起きたときに使いたいですね。

 

Q.天使をやめて人間になったのですが、人間の弱い身体では痛みに耐えられません。

A.

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お前が痛いかどうかは俺には関係ないというスタンス。甘ったれた後輩に言ってやりましょう。

 

Q.

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A.どこか我々の目の届かないところに隠れたようです。

 

A.

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どっちが悪役???

 

Q.仲間同士で意見が割れました。どうすればいいですか?

A.

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社内の会議で言いたいですね。

 

Q.戦わなければならないのは分かっているけど死ぬのは怖い…。どうしたらいいですか?

A.

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そういうことなんだよ。営業職に特にオススメです。

主人公が頼もしすぎて逆に感情移入できないよ。

 

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飲み会の翌日の俺?会社の人とのグループLINEに送るとウケると思います。

 

さすが世界的タイトル、天使と悪魔の対比や重厚な世界観の演出には目を見張るものがあります。古き良き海外RPG、という趣きです。

そして何より、ディアブロといえばそう「ハクスラの金字塔」とも言われる、キャラクター育成・アイテム収集要素。

これについては、「これまで遊んできたMMORPGスマホゲームのすべてが詰まっている」と言っても良いです。おれがはじめてメイプルストーリーに触れるよりも前からこんなゲームがずっと存在していたのか!おれは今まで何をしていたんだ…という気持ち。

 

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▲ストーリー序盤で入手して結局最後まで履き続けた史上最悪のズボン。「疫病で死んだ者の皮膚から作られている」じゃあないんだよ。これを履いていると敵がどんどん緑色(毒状態)になって死んでいく。こういうおかしなアイテムとの出会いを求めてモンスターを狩りまくるのが楽しい。PCで色んなMMORPGを渡り歩いた世代にはこの装備詳細ウィンドウはたまらないはず。

 

ダンジョン周回・装備編成・アイテム収集・潜在能力厳選・アイテムクラフト・スキルビルド、今までのゲーム人生で「気持ちよさ」を感じていた要素の全てがディアブロにはある。新しいスマホゲームを漁るときに求めていた「何か」がここにあった。

 

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▲この「未鑑定」にワクワクする人は是非遊んでみてほしい。

 

いわゆるMMORPG的な面白さが「全てがある」が、それでいて取っつきやすい。ゲームシステムはなんか知らん間にわかるようになっているし、Switch版ということはつまりJoy-ConまたはProコンでのプレイになるわけだが、スキルのボタン割り振りなど、全く無理なく遊べる。システムの多さの割に、スッと理解できるようになっている。流石ブリザードエンターテインメントと言うほかない。サンキューブリザード

たぶん1000時間遊んでも全然足りないタイトルだけど、「ちょっとひとダンジョン潜って寝るか」みたいな気軽さもある。主食でありおやつであり酒のアテにもなる、日清焼きそばみたいな存在。とりあえず冷蔵庫にいて欲しい。

持ち運びが出来るSwitchというハードがこれまたピッタシハマっているように思う。ダウンロード版を買ってとりあえずSwitchに入れておくという遊び方はかなりしっくりきています。

強いて不満点を挙げるなら、「ワイドショーでインタビューを受ける元暴力団員」みたいな低音ボイスの登場人物(特に悪魔勢のみなさん)が多い一方で、敵をジャキジャキ斬りまくる音がめちゃデカいので、何喋ってるかわからなくなるところです。結局「刃を向けてくるやつは殺す、そうでなければ仲間」ぐらいしかないので、言葉を理解する必要はあまりありませんが。

 

ストーリーモードを終えた今からがようやく本番。

子どもが寝たらこそこそとダンジョンに潜ろうと思います。

 

最後に、ディアブロ3が我々に与えてくれる最も有用なTIPSをお届けしようと思います。

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 おつかれさまでした。

『凍』/ トーマス・ベルンハルト

タイトルは"凍(いて)"と読む。原題は"Frost"なので、直訳すると"霜"となるところだが、"霜"ではこの作品を貫く寒さや冷たさといったものが伝わりきらないと思い、あえて"凍"とした、というようなことが訳者あとがきにあり、まったくもってその通りの本だった。

 

【あらすじ】舞台は第二次世界大戦後のオーストリア。研修医である「ぼく」は、先輩の「下級医シュトラウホ」から、彼の弟「画家シュトラウホ」に接近し、その様子を報告するよう命じられる。研修医は画家を訪ねて寒村ヴェングに向かう。そこで過ごした約1ヶ月間の記録。

 

読み終えてから知ったことだが、この作品が書かれたのは1963年。日本語版が出版されたのは2019年。なんと、原語での初版から56年後の昨年、ようやく日本語版が出版されたわけである。(ちなみに作者トーマス・ベルンハルトは1989年に没している。)どうやらすごい本に出会ってしまったようだ。サンキュー河出書房新社!サンキュー大阪市立図書館!遥か遠い異国で書かれた作品を今日自宅でぬくぬくと読んでいられるというのは決して当たり前のことではないのだと改めて感じる次第である。

本そのものについて調べたついでに作者について調べてみると、この作者のトーマス・ベルンハルトという人がどうもケッタイなオッサンだったようだ。生前は保守団体からヤイヤイ非難されたり友人から名誉毀損で訴えられたりしていたらしい。反省するのかと思いきや、「文学的亡命」と称して「死後、母国オーストリアでの自分の著作の出版・戯曲の上映を禁ずる」というような遺言を遺したらしい。(かなりおれ好みな)クセの強いオッサンである。

 

さて、肝心の『凍』そのものの話。

読み終えてからこの作者の人物像を知ると「なるほどな」と思わずにはいられないのが、『凍』の主役、画家シュトラウホである。

本作は、"主人公である「ぼく」が綴った日記"という形で進行する。「ぼく」による画家シュトラウホの観察がメインテーマだ。

この画家シュトラウホが、訳のわからないことを喋り、訳のわからない行動をしまくる。大衆の批判、国家の批判、人生への深い諦念、悪口に対する過敏な反応。画家シュトラウホを知ってからトーマス・ベルンハルト本人を知ると、これは作者自身だったのではないか?と思ってしまう。

シュトラウホは突飛な言動ばかり見せるし、彼らが宿泊している宿の周辺で色んな事件が起こる。寒村ヴェングとそこに住む人々はたしかに"生きている"ように見える。しかし、彼らは"死んでいる"とも言えるのではないかと思わされる。生きながらにして死んでいる状態。通底する矛盾。それが"凍(いて)"だ。

研修医と画家が滞在するヴェングは、険しい地形に囲まれた、寒さの厳しい土地。とても自然に恵まれた土地とは言えない。作物はあまり実らない。村人は皆貧しい。出稼ぎに出るものも居るが、村を出ることなく一生を終える者も多い。よそ者を受け入れようという友好的な空気もない。何の希望もなく、陰鬱に日々の生活が営まれているだけの、暗くて、寒くて、貧しい村。それがヴェングだ。(実際のヴェングはそんなにひどいところではないらしいが。)諦念が充満した陰鬱な田舎町。それが"凍てついた"物語の舞台だ。

読者がその舞台から感じることのできる"凍"と別に、画家シュトラウホの口から、彼が見る"凍"が語られる。「生命あるものに死を齎すもの」「全てを停止させるもの」。画家シュトラウホが見る"凍"。これがあまりに陰鬱だ。

発電所の工事中に川に落ちて凍死する者、遭難死する観光客、森にある凍ったままの動物の死骸、第二次世界大戦の遺物、兵士の死体。白銀の風景の中には常に死の匂いが立ち込めている。それは、腐敗すら許さないという、"凍は死すらも死なせてしまう"という、そんな無慈悲さも感じさせる。そして、田舎の村特有の排他性。近親相姦とも言って良いほどの狭い世界での姦通。噂話の伝播。払われるはずのないツケ。しきたり通りの葬式。不正。生き生きと巡り巡っていると思われた世界は、手垢と腐臭にまみれ行き詰まっている。同じことに繰り返し。世界の全てが凍り付いて停止している。死んでいるが腐りもしない状態。腐りに腐りきっているがそれ以上腐らない状態。生きて動いているように見えたものはとっくに死んでいた。春はもう来ない。もう二度と春は来ないのではないかと思わずには居られないくらいの希望の無さ。

ヴェングを取り巻く全てに希望が感じられない。画家シュトラウホは世界の在り方を知り、全てに絶望する。しかし、何をするでもなく、ただただそこに居て、その有様を見る。見続ける。この描写、この描写がたまらない。

画家シュトラウホは孤独である。友人は無く、親族とも断絶状態。画家を名乗っているが画業で名を成したわけではない。

彼の目には、自分がさんざん苦労して描きあげたものも、人を感嘆させたり、まして歓声をあげさせたりするにはほど遠い駄作であることが、まざまざと見えていた。自分の生み出したものが月並みとしか思えなかった。すべてがぼろぼろ崩壊していった。

「だが私は無能だ、底無しの無能だ。」多くの人間に非凡なところがあるが、それは洒落ほどの値打ちもない。「だが私は名もない人間だ。」

あくまで個人的な印象だが、彼の発言がその大半を占めるという構成と、度が過ぎると言ってよいほどの厭世的な態度から、画家シュトラウホにはどうしてもニーチェの「ツァラトゥストラ」のイメージがついて回る。しかし、シュトラウホはツァラトゥストラに喩えるには"あまりに人間的"すぎる。そう、"あまりに人間的"。シュトラウホはツァラトゥストラが語るような超人では決してない。俗人と群れることを嫌いながらも、俗人との関わりを捨てきれないし、自身に対する肯定も弱い。むしろ、自身を否定し続ける。ツァラトゥストラの対極と言ってもよい。"超人"など程遠い生身の人間。世俗に生きる人間性を否定する存在でありながらもあまりに生々しい人間性そのもの。それが『凍』で描かれる画家シュトラウホである。

本作は、"シュトラウホ"以外に固有の人名が登場しない。語り手でさえ"ぼく"または"研修医"としか表記されない。度々登場する面々も、"女将" "皮剥人" "技師" など、その職業の名称で語られる。ああ、"女将"も"皮剥人"も誰でもよかったのだ、その時、その場所にその役割を負うに能えば誰でもよかったのだ。自分である必要があったのだろうか?自分は"会社員"に過ぎない存在なのではないか。固有の名を持つ存在である必要があるのだろうか。このまま"会社員"として死んでいく、否、すでに"会社員"として凍てているのではないか。という思いを拭えなくなる。研修医が悩む場面とも重なる。思えば、調査される対象である"画家"のシュトラウホか、調査を命じ報告資料を読む立場である"下級医"のシュトラウホ、いずれかの目線で読むべき作品だったのかもしれない。

何者かであろうとして、何者でもいられなかった画家シュトラウホ。何者かであることができたのだろうか?彼の結末、研修医が下級医から与えられた任務の結末はここには書かない。

読み終えてから2週間以上経っているがそれでもこの一冊が心に氷柱刺さったかのように印象に残り続けているというのは稀有な体験である。

あなたは、常温の、固有名詞で生きることのできる人間だろうか?気になった人は挑戦してみてください。寒い日にぴったりだとは思いますが、オススメはしません。

 

今週のお題「急に寒いやん」

選択と自由と責任

昇進するためには人事が指定した「通信教育」なるものを受けなければならないため、嫌々ながらもひとつ受講することになった。

合格すれば受講料の半額が会社から返ってくることになっているのだが、講座一覧を見るとほとんどの講座の受講料が1万円以上となっているので、5000円程度は自分で負担しなければならないことになる。

金額に見合うだけの講座もあるのだろうが、「メモの取り方」「Excel初心者講座」など、"キャリアアップ"というよりは"就労支援"の空気が感じられるラインナップにいささか辟易してしまう。おれは大卒だぞ。

とにかく安く(とはいえ、1万円は超えてしまった)、手っ取り早く終わりそうな講座を選び、申し込んだ。

 

後日、教材と受講の手引きが届いた。Web上で解答・添削が完了する講座とのことだった。以前受講した講座はマークシートに手書きして郵送するタイプだったから、かなり進んだ講座を選ぶことができたと言える。

受講の手引きを読み進める。

 

推奨ブラウザ:Internet Exprorer ※他のブラウザでは正しく表示されない可能性があります。

 

【Tips】記述式の問題の解答をする際は、入力途中にインターネット接続が切断されると入力した内容が消去されてしまう可能性があるため、あらかじめ"メモ帳"などに答案を入力しておき、コピー&ペーストしましょう。

 

なるほど。味わい深い。

小学生の頃、校内に突如として「コンピュータルーム」ができ、「情報」の授業が始まった。1文字タイピングするとF1カーが1マスずつ進むタイピングゲームやWindowsプリインストールのピンボールに熱狂したものだ。当時はコンピュータ室にだけエアコンが付いていて、休み時間にコンピュータ室が解放される時には我先にと駆け込んだものだ。

令和のこの時代におれが手にしている受講の手引きからは、不思議と、あの頃の「コンピュータルーム」の匂いがする。やたらと静電気をまとう化学繊維のホコリ取り。パソコン本体のファンの音。小学校の天井付きのエアコンの風。紛れもない、あの頃の青春の匂い。

だが、おれが今現実に対峙しているのは、ただ昇進のために通過する必要があるだけ、ただそれだけの、何の中身もない、通信教育の教材。通過することに意義がある。教材によって何を学んだとか、おれが何者であるかとかは関係ない。企業の中のひとつの数字。多少波打つことはあるかもしれないが、大きな大きな数字のなかの、小さな小さな一つの数字。誤差の範囲。点。消えかかった影。

おれが世界の中心であり、世界の中心たるおれのそのそばにいる友人たちも、さらにその周辺にいる友人の友人たちも心の底から沸き立っていたあのころ青春には程遠い。かの青春には、生まれて1年にも満たない我が子のほうが近いと言える。おれはとうに退場した演者なのだ。もう戻れない。脇役ですらない。背景。ハリボテの木。いくらでも代用の効く存在。居ることだけに意味があり、いや、居る必要があるかどうかも危うい存在。中身にも外見にも意味を求められない。

 

ページ数の割に中身のない受講の手引きを5分とかからず読み終え、記載されているウェブサイト上で受講の手続きをすることにした。

 

基本情報の入力。氏名、生年月日、会社名、所属、職種、趣味。趣味?何故?

希望する講師の選択。一目見てJPEGであるとわかる粗さと独特の色味の、中年の顔写真数枚と、それぞれに添えられた4〜5行のプロフィール。

「山登りが趣味です。」「映画、特にSFが好きです。」

中年の趣味?何故?

強いていうならば少し前に読んだ小説がSFだったな、ということで、SFが好きだという、2000年代初頭のホームページにありがちな画質で、縁がグラデーションになったポートレイトの中年女性講師を選択し、次に進む。

 

どうやら、全3回のWeb上テストでこの講座の修了が決定するらしい。

ひとつめ、ふたつめのテストは選択式で、自動で添削される。みっつめのテストは記述式の設問も含まれる。これは先ほど選択した講師が採点する。3回のテストすべてに合格すれば、晴れて修了となる。

 

多忙かつ頭脳明晰極まるおれは、教材をパラパラマンガのごとく一巡したのち、傍に置いたスマートフォングランブルーファンタジーのボス戦をフルオートで流しつつ、早速テストに取り掛かる。

 

テストの内容はあまりに稚拙だった。問題文を読めば教材のどこを参照すれば良いかすぐにわかる。教材をめくり、目次を見て、設問に該当するベージを開く。そのページに書いてある通りの内容を解答する。ただそれだけ。教材というのも、キーワード索引が付いていない、体系的な知識を学ぶ為の書籍としてはとても粗末なものだ。それでも、設問のレベルが低すぎてすぐに解答にたどり着くことができる。受講料分の金を持って本屋に行くほうがよっぽど有益だろう。

おれはこれに6,000円払ったのか。おれは大卒だぞ。大卒を舐めるのも大概にしろ。

学習の対象がなんであれ、稚拙な設問からは稚拙な知識しか身に付かないということを身を以て学ぶことができた。大学に通うために高い学費が必要な意味と、そこで学べることがいかに質の高いものであったかを、身を以て思い知らされた。大学法人と職業訓練所は似て非なるものである。おれたちは、職業訓練所に通っていたのではなく、れっきとした、大学、そう、大学に通っていたのだ。嗚呼、おれはなんと時間を無駄にしたことか。何と貴重な機会を自ら喪失していたことか。

 

傍に置いたスマートフォングランブルーファンタジーのボス戦をいくつか終えたところで、全ての設問への解答が終わった。

ひとつめ、ふたつめのテストについてはその場で合格。みっつめのテストについては講師の採点待ちとなった。

テストの画面の貧相さは筆舌に尽くしがたい。運転免許取得の時の効果測定ぐらいのショボさ、地方の図書館の書籍検索端末のインターフェース、を想像していただきたい。

 

テストを終えて3日ほど経ったところで、登録したメールアドレスに「採点が完了した」という旨のメールが届いた。

仕事が休みの日だったし、心の底からどうでもよかったので、その3日後ぐらいに結果を見に行った。

 

結果は、100点満点中76点。

70点が合格だから、合格・修了である。2000年代初頭の公立の小・中学校を思わせるデザインのマイページに「お疲れ様でした。本講座は修了です。」と、桜の花びら付きで書いてある。これをもって、通信教育の業者から我が社の人事の担当者へ修了の旨が通達され、おれは晴れて昇格し、受講料の半額が振り込まれるらしい。

 

しかし、頭脳明晰かつ「テスト」と名のつくものにおいては常に成績優秀であったおれにとって、「76点」という点数は不服だった。

何故、大卒のおれが、人を舐め腐ったようなテストでこんな点数を付けられなければならないのだ。

 

WindowsXP以前の、Yahoo!ジオシティーズ全盛期のインターネットを彷彿させるマイページをよく見てみると、採点結果の詳細を表示することができた。

 

よくみると、とある設問で、「0/20点」という採点があった。

これが原因かと思い、採点詳細のページを開く。

 

講師のコメント:大変よくまとめられています。

 

あなたの得点:20点満点中、0点

 

なんでだよ!

 

どこを見ても、減点の理由が見当たらない。異議申し立ての手順もない。

 

 

あるのはこれだけ。

 

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待ってくれ。おれの解答のどこが悪かったを教えて欲しいんだ。

 

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合格できたならそれはいい。だが、何故この設問が0点だったかをおれは知りたいんだ。

 

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おい、頼む、頼むよ・・・・。

何が間違っていたんだ?

 

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おれは設問に対して教材を基に解答しただけ。間違える要素はなかった。

 

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間違える余地なんてなかったんだ。

 

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本当にそうか?

 

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本当に選択の余地はひとつもなかったのか?

 

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いや、「選択」したことがひとつだけあった。

 

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おれが選択したことといえば、あの選択・・・。

 

あの中年女性さえ選ばなければ・・・。

 

 

おれは与えられた「自由」を行使した。

通信教育の講座を選択する「自由」。講師を選択する「自由」。

「自由」であるがゆえに、その「選択」はおれの「責任」となった。

システムによって与えられた選択肢と、システムの中で許された自由と、システムのために負わされた責任。

 

おれがあの講師を選ばなければ、おれは76点ではなかったかもしれない。

 

しかし、果たして、おれの ”与えられた「自由」” はそもそも自由だったと言えるのか?

おれはこの通信教育を選択すべくして選択して、修了すべくして修了して、とある設問で0点を取るべくして0点を取っていたのだとしたら?

 

20年前、「コンピュータルーム」が出来たとき、ようやくタイピングの仕方を覚えたあのときにワクワクしながら描いた未来はもう訪れているのだろうか。

それは、すべてがインターネットで繋がり、数値化される未来だっただろうか。

 

20年前、「コンピュータルーム」が出来たときのおれにとっては「よくできました」がすべてだった。

世界は、あの頃から何も変わっていないのかもしれない。

 

 

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