「書を捨てよ町へ出よう」という言葉が嫌いだった

一年半ほど前に仕事が変わりリモートワークがメインの生活になった。仕事と家庭の両立がしやすくなり大変助かっているが、一方で町中を歩くということが少なった。これによってなんとなく人間としての深みや奥行きといったものが低減したような感じがしている。もともと底の浅い薄っぺらな人間だったが、それがさらに無味無臭になっていっているような気がしている。

今日は久しぶりに梅田に出る用事があった。

以前は毎日1万歩以上歩き、毎日のようにこういうものに出会っていたが、今はこういう出会いがめっきり減ってしまった。

外に出ることが減った分、一日中インターネットに浸かっているので、以前より多くの情報に触れていることは間違いない。だが、手垢まみれのインターネットの"おもしろ"にいくら触れたところで、手書きの適格請求書発行事業者登録番号を発見するという体験には代えられない。アホほど豚骨臭い店内でラーメンを啜りながらそう思った。

誰が言った言葉なのか書いた言葉なのかどういう意味が込められているのかも知らないが、ただ一方的に「書を捨てよ町へ出よう」という言葉が嫌いだった。学業を疎かにしてきた人間が自分の怠慢を正当化するために使われているような気がしたからである。自分は学校の先生の言われた通りに規律を守りテストで良い点を取ることでしか自己を表現できない10代を過ごしたため、そうでない人間を許すことができなかったのだ。「書を捨てよ町へ出よう」という言葉が嫌い、ではなく、安易にこの言葉を引用する人間が嫌い、と言ったほうが正しいのかも知れない。こういう話はまだまだ続けられるが今日はこの程度にしておこう。

だが、今日手書きの適格請求書発行事業者登録番号と出会ったことでその考えは少し変わった。町へ出なければ、手書きの適格請求書発行事業者登録番号に出会うことはなかったのだ。町へ出たことでインボイスの大切さを知ることができたのである!ありがとう、インボイス

 

あとは、「国産の有名赤酢を使用!」とデカデカと書かれたやたら派手な看板の寿司屋があって、「酢飯の酢をエースに据えて勝負してんじゃねぇよ」と思いました。これが"人間としての深みや奥行き"のことです。誰か救(たす)けてください。