LOVE 2000

二十三世紀。『2001年宇宙の旅』が人類に驚愕と熱狂を与えてから300年。当時の人々は2001年にどんな思いを馳せただろう。実際に2001年を生きた人々は何を思っただろう。2001年。『LOVE 2000』から1年。「愛はどこからやってくるのでしょう」。

一世紀前に<特異点>を迎え、「人類の叡智」という言葉はすっかり意味を失った。今この時代は、人工知能がすべての知識を担っている。人工知能こそが叡智である。もはや、人類の知に価値はない。アダムとイヴは知恵の樹の実を食べて善悪を知ったとされるが、この知恵の樹というのはコカインの樹だった、と人工知能が証明した。二十世紀に書かれたとされる聖書『新世紀エヴァンゲリヲン』も、「全てはコカインをやった碇シンジの幻覚だった。そして碇シンジは視聴者そのものだった。」という結末で終わる。人間はラリッているから不完全。人工知能はラリッていないから完全。揺るぎない世界の常識である。

そんな時代でも、答えの出ない問いがあった。「愛はどこからやってくるのでしょう」。

 

二十二世紀。我々日本人の前に<ウイルス>なる脅威が現れてから100年でもある。未知の敵を前に、まだ人類が叡智の象徴であった頃の日本人は様々に足掻いた。ロックダウン。緊急事態宣言。三密。ソーシャルディスタンス。しかし何をしても<ウイルス>を駆逐することが出来ない。頭を抱えた政府は、感染拡大に非協力的な態度を取る者に対する罰則の強化を決定した。今思えば、この時が人類のターニングポイントだったのかもしれない。

文献はあまり残っていないので詳しいことはわからないが、<ウイルス>が勢力を拡大し始めた最初のころ、日本には失業者が溢れたという。人々が外出・他人との接触を過度に恐れたことで、経済活動が停滞したことが原因らしい。まったく贅沢な話だ。今や一人に一畳あてがわれる人間も珍しいというのに。寝返りをうてば隣人に当たる。肘をぶつけないようにするのが隣人愛、アガペーだ。余談はこのくらいにしておこう。おれたち<拒絶者 -リジェクター->の始祖はこの時代を生きたと言われている。

<ウイルス>の感染拡大を抑え込めなかった政府は、入院を拒否する<感染者>に懲役刑を課すことを決定した。政府にとって、<ウイルス>の封じ込めは人権よりも優先すべき問題だったのだ。しかしこれは政府にとって大誤算だった。

はじめのうちは「入院拒否の収監は人生の終わり」と言われ、懲役刑は感染抑止に一定の効果を示した。しかし、一向に経済は回復しない。失業者は増える一方。ある日、こんな噂が流れる。

「刑務所のメシは意外とウマいらしい」。

<ウイルス>の影響でネタが無くなったテレビ局は、インターネットで話題の貧乏メシやコンビニスイーツやプチプラ雑貨を取り上げ続けた。それでもネタが尽きてしまった彼らの取材対象は公的機関以外に無くなってしまったという。中でも視聴率が取れるもの。彼らのない頭を捻って出てきたアイデア。刑務所だ。刑務所の映像を流そう。最初は特番が組まれる程度だったが、徐々にレギュラー化し、ライブカメラが設置されるまでになった。市役所には議会の様子を映すテレビの横に刑務所の様子を映すモニターが置かれた。公立図書館の視聴覚コーナーには刑務所専用の棚が増設された。これは娯楽に費やす金を持たない失業者たちにとっての数少ない娯楽となる。彼らはやがて気付く。

我々が人間らしい暮らしを送るために必要なものはなんだ?ハローワークでも生活保護でもない。

ーーー刑務所だ。刑務所に入るにはどうすればいい?

ーーー感染だ。感染と入院拒否だ。

こうして、都心は感染と入院拒否を目的とした失業者で溢れかえることになった。当時の渋谷のスクランブル交差点の定点カメラの映像から、この事件は<渦>と呼ばれることになった。

<渦>を受けた日本政府は、態度を改めるのかと思いきや、真逆の方向へ舵を切った。ーーー更なる人権の軽視へ。

ほぼすべての感染者が入院を拒否するおかげで、病床使用率は大幅に改善していった。一人の患者に対して「一室・一医師・六看護師」があてがわれるのが当たり前だったという。これにより、医療機関に対する補助金が大幅にカットされた。一方で、刑務所の環境は劣悪化していった。収容予定人数が収容可能人数を大幅に上回り、<収監待ち>が後を絶たない事態となっていた。

かつて日本の大企業のほとんどは東京都内に巨大なビルを構えていたが、<ウイルス>の拡大以後、彼らは逃げるように東京のビルを売り払い地方へ拠点を移した。

また、このあたりから全ての外交政策が停止され、事実上の<鎖国>がはじまったとも言われている。日本国内にオフィスを構えていた外資系企業は国外退去を余儀なくされた。

その結果、二十二世紀初頭の東京は、廃墟と化した巨大ビル群の谷間に<収監待ち>や<渦>が跋扈する無法地帯と化した。

この時の日本政府はもはや<ウイルス>のことなどどうでもよかったのかもしれない。医療機関・企業・失業者への補助を打ち切ることで得られた財源は、新たな刑務所の建設費用に充てられた。全ての区、公共交通機関の廃止。企業の一斉退去。県境の完全封鎖。かつて栄華を誇った摩天楼は無計画に縫合されていく。まるで膿んだ傷口を縫うように。やがて東京の地表に日の光が届かなくなった。

 

かくして、<東京二十三獄>は完成した。

二十一世紀の東京の人口は約一千四百万人だったと言われているが、<東京二十三獄>は受刑者だけで五千万人を超えると言われている。「言われている」としか言えないのは、<都庁>や<霞が関>はとうの昔に破壊され、統計を行う機関が存在しないからだ。「受刑者だけで」としか言えないのは、獄中結婚・獄中出産が二世三世四世と続き、直接の受刑者とその親族の見分けがつかなくなっているからだ。

そんな世界でなぜおれがこうして滔々と日本の歴史を語ることができるのか。東京の歴史を語ることは<拒絶者 -リジェクター->の一族に与えられた使命だからだ。<拒絶者 -リジェクター->は、二十一世紀に<ウイルス>が蔓延し始めた頃、大学入試センター試験の受験中にマスクから鼻が出ていることを咎められたがマスクを上げることへの<拒絶 -リジェクト->を行い、トイレに逃げ込み失格となった四十代男性の末裔であるとされている。<始祖>の栄誉を称え、末裔たちは、大学入試センター試験が受験可能となる17歳までの間に東京の歴史を教え込まれ、<始祖>が<拒絶 -リジェクト->を行なった40代となるまでの間に後継者へ東京の歴史を語り継ぐという伝統を守り続けてきた。そして、後継者にすべてを託した<拒絶者 -リジェクター->は、後継の歴史観を歪めないために、<東京二十三獄>を出る。これは、トイレに逃げ込んだ<始祖>の再現の意味合いもある。本来、本人の意思如何に関わらず、<東京二十三獄>を出ることができる者はいない。ここに生まれた者たちは皆ここで死ぬ。しかし、歴史を語る一族<拒絶者 -リジェクター->たちは、かつて人間が人間であった歴史を語り、<東京二十三獄>ではないどこかに出ていくことで、獄中の皆に対して、「我々は、生まれ、死んでゆく人間という存在、人間なのだ」ということを示す使命を負っているのだ。

いよいよ<東京二十三獄>を出る日が来た。後継の<拒絶者 -リジェクター->から、『LOVE 2000』のMDとMDプレーヤーを託される。<八王子>の監獄長に連れられ、県境のゲートに向かう。恐怖も不安もない。おれは<拒絶者 -リジェクター->だ。

 

愛はどこからやってくるのでしょう 自分の胸に問いかけた

ニセモノなんか興味はないの ホントだけを見つめたい

 

おれは人間だ。