餃子の王将の店舗限定のスタミナラーメンみたいなやつが好き

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餃子の王将の店舗限定の「スタミナラーメン」みたいなやつが好きだ。明らかに身体に悪そうな見た目で、見た目ほど辛くなく、見た目以上に脂っこくてニンニク臭いそれを「やっぱり普通のメニューにしておけばよかった」と思いながら食べるのが最高である。今は隣の席の人が食べていた王将ラーメンと餃子のセットにしておけばよかった、と思って後悔しているが、1ヶ月もすればまたスタミナラーメンを食べたくなっているだろう。

社会人生活のほとんどを外回りの営業マンとして過ごしてきた(※外回りの営業マンは昼も夜も外食する機会が多く、そこで得た経験をもとに食通ぶることで自分の縄張り及び"オス"としての強さを他の営業マンに対して誇示する生態を持つ。)ということもあり、普通の人よりはちょっとグルメ情報に詳しいという自負があったが、最近、なんか食通ぶるのがダサく思えてきた。

インターネットで飲食店を検索して良し悪しのあたりをつけるという行動のどこにも生産性はなく、それは消費者に消費をさせるべくして構築されたマーケティングのメカニズムのなすがままになっているだけのことである。食通ぶることで「オレはイケてる人間だぜ」というアピールが出来ているつもりなのかもしれないが、実際はマーケティング側の目論見通りに消費されているだけである。消費されてるのはお前なんだよ。「良い店を知ってるやつ」はいれば便利だけどいなくても困らないんだよ。大体、「食通」とか「美食家」ってなんなんだ。料理の勉強のために色々な店に通うのならまだわかるけど、自分は何もせず出されたものを食って金を払うだけのことを肩書きとか趣味として語るんじゃないよ。お前は金を払って飯を食ってるだけだろうが。食べログレビュー?ブログ?うるせぇ!黙れ!一生懸命インスタ用の写真を撮ってウンチクを垂れたりして、消費される側の人間が順調に消費されている間に、消費する側はどんどん潤う。消費する側の人間は、その金で一回5万円とかする寿司とかフレンチとか、そういう"本物"を楽しむ。彼らは価値あるものに相応の対価を支払う。価値があると判断したものには惜しみなく金を落とす。そうして価値のあるものは価値を維持し高めていく。それに比べて、消費される側のほうは「コスパ」だの「原価」なんだのといって、たかだか数百円〜数千円の範囲内で、口角泡を飛ばしてあれは良いだのこれが良いだの点数をつけて悦に入っている。搾取されるべくしてされておいて、何の文句を言ってるんだ。目くそ鼻くその格付けをしてるだけだということに気づけ。そういうのがマジでダサく思えてきてげんなりしてきた。

同じような話で、スポーツをするわけでもなくストリートカルチャーを嗜んでいるわけでもないのにNIKEを履いたりChampionのトレーナーを着ているのもダサく思えてきた。全部捨てようと思っている。(※実際は捨てない)

今週のお題「一生モノ」