バラモスゾンビは三度死ぬ

大魔王ゾーマの魔力で再び蘇った

「やりたいことがない」は悪なのか?

立て続けの呪詛、申し訳ございません。何卒ご高配賜りますようよろしくお願い致します。

 

「やりたいことがない」は悪なのか?

今日、仕事の関係で上司及び仕事の人と会を共にした。IoTで株で進退問題でテーマだった。このところ仕事のガチ勢と話をする機会が続いている。メリットでパフォーマンスで御社の強みは?社会人とは何なのでしょうか。

 

「やりたいことがない」は悪なのか?

全員にやりたいことがありやりたいことに邁進する世界があるとしたら全てのやりたいことはできたことに変わり、不可能が可能になるスピードは加速度的に増加しやがて全ての価値は既存になり無価値になります。即ち人間は無価値になる恐れがあり学会はこれを危惧してします。やりたいひとにしか賃金が払われない世界があったとしたら、やりたくない人は生命を維持するための賃金を維持することが出来なくなりこの世から去ります。これは自然による淘汰ということになりますが、すると次はやりたい人の中の最下位の人はやりたいのに賃金を与えられないということが起こり、これはまた生命を維持するための賃金を維持することが出来なくなり、この世から去ります。すると、賃金及び生命を維持できる人というのは限られることになってしまう。では、やりたくない人を等しく助けようとすると、やりたくなくても賃金を得られるということになり、すると、やりたいと思っていた人は「なあんだ、やらなくてもいいんじゃん」となり、やりたくなくなってしまう。すると生まれるのはやりたくない人ばかりの世界で、そこは皆がやりたくないので、生命を維持するための社会を維持できなくなり、全員がこの世を去ります。

 

おれはやりたくないのだが、やりたくない人間が賃金を貰ってはいけないのか。いずれは賃金を貰う権利を奪われると思わなければならないのか。では、将来賃金を貰う権利を継続できる人間とは?金はいくらあっても足りないが人生は有限。誰が賃金を貰うに値して誰が賃金を貰うに値しないのか。誰のための賃金なのか?つまるところ年収の後ろにゼロが何桁あるかという量的な問題ではなく、いかに生きるかという質的な問題になってきます。量的な問題でしか考えられない人は物理界から解脱できておらず、デカく、多く、重ければそれが強いというものさしで生きています。やっていけていますか?何なのでしょう。生きたい。生きることはそんなにも難しいことですか?

 

例えば、毎日のように終電を過ぎても仕事をしているのが当たり前だという話があります。何のために生きていますか?死とどこか違うところがありますか?かつてそうした死を乗り越えて偉くなった人がいるとして、あなたの死は必要だったのか?命の価値に優劣はないが、その死は果たして必要だったのだろうか?では、毎日の死を当たり前でないと思っている人間が毎日を当たり前に生きることは生なのか?死を知らぬ生は生なのか?実は死であるというケースもあるのではないか?

 

「やりたくことがない」は悪なのか?

 

善を知らぬ悪は悪なのか?悪を知らぬ善は善なのか?