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バラモスゾンビは三度死ぬ

大魔王ゾーマの魔力で再び蘇った

雨の日はパフォーマンスが半分になる

晴耕雨読」とはよく言ったものだ。昔の人は偉かった。

おれは雨が嫌いだ。傘を持つことが嫌いだ。傘を持って出かけていると、ずっと傘のことを気にかけていなければならないからだ。傘というやつは立っていても座っていても邪魔なやつである。どこかに引っ掛けてたり、もたれかけさせたりしてもすぐに倒れやがる。傘を持っている間は脳の半分が傘のことに占拠されているようで腹が立つ。そのくせしょっちゅうどこかに置き忘れるのだから更にたちが悪い。

果たして、人間はわざわざ傘をさしてまで活動する必要はあるのかという気持ちになって来る。「んなアホな」というような話だが、最近のニュースを見ていると、あながち支離滅裂な感情でもないような気がしてくる。

昨今「そうまでして働く必要ある?」というようなニュースをよく見る。長時間労働の問題。生産性の問題。蓋を開けてみれば、やたらと時間がかかっているのに大した仕事ではなかった、ということは少なくない。傘をさしながら片手で作業するより、晴れた日に両手で作業するほうが効率的なのは火を見るより明らかである。

傘だけではなく、さまざまな便利な道具が生み出され、われわれの生活は劇的に変化している。しかし今一度昔の人の言葉を思い出したい。「晴耕雨読」である。今日のわれわれの生活の中には、雨の日でも畑仕事が出来るような便利な道具があるのかもしれないが、本当に雨の日に畑仕事をする必要があるのだろうか。雨が降ったのなら無理に外へ出なくとも、家の中で出来ることをすれば良いのではなかろうか。

利便性の増加に比例して人間の自由は増加していくが、利便性がある数値に達すると一転して人間の自由は減少していくのではないか。そんなことを考える三連休明けの雨の日である。キメろ定時退社、目指せ週休3日制