バラモスゾンビは三度死ぬ

大魔王ゾーマの魔力で再び蘇った

何故おれは悩んでいるのか?

こんばんは。バラモスゾンビです。今日はいつもと違う感じでブログを書こうと思います。というのは、まあまたあとで触れることになるんですけど自分の話の引き出しの少なさというかフリートークのヘボさというか人間的な浅さというかそういったところが気になることがここ最近続いていて、それを脱却するために、自分の脳みその奥に眠ってる言葉を引きずり出してやろうと思って一人でぼそぼそと喋るがごとく思いついた話題でとくにルール無くブログを書きます。イメージはラジオです。ブログでやるラジオっていうイメージで、なるべく話し言葉に近い形でやっていこうと思ってます。よろしくお願いします。まあ今までの記事が確固たるテーマに基づいて書かれているかと言うと甚だ怪しいんですけど、それもまたおれの愛嬌であり最大の欠点であるということで、堪忍してください。暑い中ほんまに恐縮なんですけど今日はべらぼうにジメジメした自分語りになるのでもっと堪忍してください。すいません。

さて、まず話したい事なんですけど、オーバーウォッチ、とにかく辛いですね。かれこれ50戦ぐらいレート1200±100ぐらいのところをウロウロしてます。毎回のように「注意!:公平なマッチが見つかるまでに時間がかかる可能性があります」って出てきて、それやのに平気でゴールドの人と当たったりして、「ああ、おれみたいなへたくそを探す方が難しいねんな、ああ、オーバーウォッチやっててごめんなさい」という謝罪の気持ちしか出てこん。実際試合が始まっても相手とかすごい強くて、とにかくもう負けた時は「オーバーウォッチやっててごめんなさい」という気持ちになるし勝った時は「おれみたいなへたくそを引きずって勝ってくれてありがとう、上手い人ほんまにありがとう」という気持ちになる。オーバーウォッチ、本当に辛い。辞めたい。

この「辛い」「辞めたい」というフェーズ、今までの人生のなかに何度もあって、思い返してみればいろんな事を中途半端に齧っては辞め、齧っては辞めを繰り返してきた。辞めるときは当然勝てないとかしんどいとか飽きたとかいろんな理由があって、これといった後悔もなくあっさりと辞めてしまえる。おれより後にそれを始めたやつがおれを抜かしていっても、おれ自身はもうそれを辞めてしまってるから、「おれは次のこれをやってるから」って言って悔しくないことにしてきた。結局それの繰り返しで何が残ったかと言うと、実は何も残ってなくて、おれの周りの人たちは何かが出来て何かをやり遂げられてるということになった。いろんな事を齧ってるからそれなりにその道の人と話を合わせられたりするんやけど、深く議論するまでに知識がない。自分の中での方法論であったり自身の成果物というレベルまで落とし込めてないから、その道に詳しい人とは怖くて話せへん。詳しくない人と話そうとすると、なまじ用語とかを知ってしまってるもんやから今度は向こう側から「ごめん、詳しくないからわからんわ・・・」と壁を作られてしまう。ゲームがまさにそうで、おれはゲームがめちゃめちゃ好きやけども1年やってるオーバーウォッチのこの体たらくを見てもらえればわかる通り、「下手の横好き」以外に評価のしようのない状態で、オーバーウォッチひとつ取っても強いプレイヤーの輪に入るほどの技術も知識も自分の考え方と呼べるものもなく、しかし一方で会社の人とかには「休みの日はずっとゲームしてます」みたいな事を言う、まあそんな感じやから、ゲームに詳しくない人からはおれは「ゲームに詳しいやつ」みたいに見られてて、ほかに趣味らしい趣味はないから話題がなくなってしまってコミュニケーションがなくなってしまう。オタクっぽいけどオタクと話せるほどオタクじゃないし、一般の人とすぐ打ち解けるほどのコミュニケーション能力はないし時計とか車とかスポーツとかの知識がない。人と深い付き合いを築けない。本当に情けない。「特技は?」と聞かれて答えられるものがない。オーバーウォッチが今とても辛いというのは勝てないというそれだけではなくて今まで何度も繰り返してきた逃避がフラッシュバックして「またおれは逃げるんか」と葛藤してしまってるからなんやと思う。

 

急に話題は変わる。おれの敬愛する筒井康隆大先生の「敵」という小説に大きな衝撃を受けた一説がある。突然ですが引用します。

あたりは闇になった。この疲労と虚しさは何だろう。いっときの興奮と自己満足。それが人生なのか。祝福の中に生まれて涙の中に死ぬ十人並みの人生。それが人生なのか。借りてきた他人の言葉で語り続け他人の言葉を残して死ぬ。それが人生なのだろうか。

これは読んでわかる通り、主人公が自分の死期を悟ったときのモノローグなんですけど、あまりに恐ろしくないですか。おれはこれを読んだときあまりに恐ろしくてすぐ手近にあったキャンパスノートに書き写した。これはそばに置いておかなあかん言葉やと思った。あ、関西弁、読みづらかったらごめんなさいね。関西人なもんで。すいません。 おれの人生って今のところ本当にこの通りで、今まで自分の中で良かったと思えてることって本当に「いっときの興奮と自己満足」でしかないし、ブログでもこれまで「自分の人生を生きろ」みたいなことを書いたりしてはきたけども結局のところ「十人並みの人生」でしかないし、「借りてきた他人の言葉で語り続け」てるばっかりで自分でなにか生み出したものなんてないし、ああ、このまま「他人の言葉を残して死ぬ」、すなわちその他大勢の中のひとりとして、埋没して死んでいくだけなんやなあという現実を突きつけられた。自分の人生って何?

と、考えた時に、思い当たるのは最近始めたSNS断ち。「始めた」というか「辞めた」というほうがふさわしいな。「しない」ことを「する」。「無」が「有」る。そんな話は置いといて。前にも書いたとおり昨今のSNS文化の過熱は本当に眼に余るものがあって、今日なんかはNHKですら「SNSが消費を喚起しています。なんとナイトプールにはSNSに投稿するために来て水着は持たず、写真だけを撮って帰る人たちがいます。」というようなニュースをやってた。アホと違うか。こんな奴らと一緒にされては困る。こんな奴らと同じレベルのこと、いいね!だの★だので一喜一憂するなぞ正気の沙汰では無い、と思っておれはSNSを辞めた。あいつらはSNSという虫に脳をやられてしまった不具者なのだ。まとめサイトだのキュレーションサイトだのも同様に見るのを辞めた。Web広告が不愉快でならなかった。結局Web広告だのYoutubeだので飯を食ってる奴らもSNS不具者たちと同様で、「アクセス数を稼ぐ」という観念に脳をやられてしまっているのだ。さてそろそろ口調がおかしなことになってきた。もっともらしいことを言いながら、ついにおれはSNSだの何だののインターネットの魑魅魍魎コンテンツから身を避けたわけだけれども、じゃあそのうえで俺がやりたいことは何か?自分の人生というのは何なのか?考えてみよう。

おれもSNSをやってた時代はあって、それはもう人からいいね!とかコメントとかをもらいたいなあと言う気持ちが強い時期もあった。今はないけど。でも結局、今こうしてSNSに取り憑かれた人たちを見て不快感を覚えるのって、単純に取り憑かれたようにスマホをいじるその人たちが気持ち悪いというだけではなくて、それでその人たちが一定数の評価を得てるってことに対しての僻みも含まれてるんやと思う。それによってワイワイキャッキャしてるコミュニティがあって、それに入れへん自分っていうのを認めたくなくて「お前らは馬鹿、おれは馬鹿じゃないからお前らの仲間に入らへん」って言ってるだけなんやと思う。何故なら、ほんまにその輪に入ろうとしても入れへんから。じゃあ何故その輪に入れへんのかというと、それは上に書いたことにも繋がって来て、いままで色んな事を中〜〜〜〜途半端に投げ出すってことを繰り返してきたから。中途半端に投げ出して来たことの中には人付き合いも含まれてるしコミュニケーション能力の低さにも繋がってる。「SNSで人気の〜」が嫌いなのは、自分がそうなられへんかったから。評価してもらえなかったから。いままでのおれのままSNSを続けてもすぐ頭打ちになっておもんなくなるから、そうなることを見越して、これまた逃げてしまうことになった。

おれが不快感を感じるものの原因を探っていくとほとんどがこの「僻み」に集約されることがわかった。「僻み」と「中途半端」これが今のおれをつくる原因となった。何も出来ないくせに人のことを僻んで、「誰もおれをわかってくれない」と悲劇ぶる25歳独身男性、キッツ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

冒頭に書いた「フリートークのヘボさに悩んでる」という話、これもここまでの話と関係がある。これは女性との接し方という問題で、まあかなりデリケートな話になってくるんやけども恐れず書くことにする。まあ何かと言うとめちゃめちゃ簡単な話で、女の子と何喋っていいかわからんというそれだけ。無理矢理話す必要はないねんけど、人と比べるとやっぱりそこの能力が劣ってるなあとひしひしと感じる。何故そこに劣等感を感じるかと言うと、悟ったふりをしながらおれにも性欲があるから。勃起してるから。SNSを一生懸命やってたときも結局女の子によく思われたいというただそれだけだったような気がしてきた。おれはヤリチンとかヤリマンはクソのカスやと思ってて「性生活が乱れてるやつはクソ、ゴミ、性病」みたいなことを言ったりしてるけども結局のところこれも僻みでしかない。何故かというとおれにも性欲があるから。ギンギンに勃起してるから。性欲はあるけど合コンなんか怖くて行かれへんしナンパも出来ひん。当然ながらヤリチンとかヤリマンはおれみたいなどうしようもない人間のことはなんの意にも介さずセックスしまくってるわけやけども、それに対して鼻息荒く非難の言葉を並べて勃起しているおれ、あまりに滑稽では?

「僻み」は何に対してかというと「女性からの評価」であるということがわかってきた。なんともこれは驚くべきことである。結局はちんちんが気持ちよくなりたいだけだったのだ!

こうなってくると、今度は自分のちんちんといかに向き合うかという話になってくる。剥きあう必要はない。もう剥けています。幸いにしておれにはそれなりに長く付き合っている恋人が居るのでそこらへんの女にちんちんを気持ちよくしてもらう必要は無い。これによって「いかにしてそこらへんの女にちんちんを気持ちよくしてもらうか」は考える必要がないということがわかった。あとに残る問題は「それでも僻んでしまうのをどうするか」である。自分でも何を言っているんだというぐらいアホな話である。こうして言葉にするまではある程度もやもやしていたが、書いていくうちにもやもやもクソもなくなってきて恥ずかしくなってきた。どれだけアホやねんおれは。「それでも僻んでしまうのをどうするか」⇨「放っておけボケ」が今のおれの中の結論である。今そうなった。

女を抱きたいと言う気持ちはあるが女を抱くための努力はしたくないし、抱くことによるメリットは射精感以外にない。とすると女を抱きたいと言う気持ちはそういうものだとして放っておいて女を抱きたいという気持ちに従って時間や金を使って女を抱くための努力をしている人のことも放っておくというのが多分正解。性欲は放っておくということになったのでおれの中の関係各所、おもに前立腺や海綿体のあたり、宜しくお願い申し上げます。

書き始めて一時間ぐらい経って4700字を超えて最初は何が言いたかったのか良くわからなくなってきたけれども、まだまだやっていく。お盆だから。自分のもやもやにケリをつけたい。

なんとなく、性欲についての問題は解消出来てきたような気がしてきた。あとは「自分は何をしたいのか」の問題。

何をしたいか・・・・。何を成し遂げたいか・・・・。

じっと考えると、おれが真にやりたいことはゲームと文章だということは間違いなさそうだ。ではゲームはどうしたいか。文章はどうしたいか。ゲームは「勝ちたい」。文章は?「面白い文章を書きたい」。それを実現するためには・・・・・・。努力するしかなさそう。

ゲームの種類は数あれど、「勝つ」ための考え方の根本には共通する「何か」があると思う。これはゲームだけではなくその他の競技にも通ずる「何か」だ。学生時代スポーツをやったりもしたけれども、根本的な「勝つ」ための「何か」はまだ掴めてないように思う。それを掴むために・・・・怒らず腐らず、向上心を持って日々鍛錬を積み重ねるしかない。(※ゲームの話をしています。)

文章の方は客観的な勝ち負けが無く判定が難しいが、これも向上心を持って日々鍛錬を積み重ねるしかないのだろう。もはや何のブログかわけがわからなくなってきたが、更新頻度をなるべく上げ、記事のバリエーションを増やしていきたい。引き出しを増やしたい。

こうして「やりたいこと」から逆算すると、そのほかにくよくよ悩んでいたしょうもない事柄はその存在自体が忘れ去られてしまったような気がする。読んでいる皆さんは多分何がなんやらさっぱりわからず、「コイツ冒頭から何言ってんの?」状態かと思われますが書いているおれ自身は頭の中がスッキリしてきました。

すべての些末ごとはゴミ箱へ放り込んで、やりたいことをやるための方法だけを考える。多分これが正解っぽい。脇には目もくれるな!そろそろ眠くなってきたというのもありかなり雑な締めになったがまあよしとします。適切な手抜きは次へのモチベーション維持になります。

 

この記事のタイトル「何故おれは悩んでいるのか?」は、最初は「悩んではいるものの漠然としておりまるで迷路のようでどうしていいかわからない」という意味合いで付けたものだが、5500字超書いた今では「ハテ?悩みなんてあったか?何を悩んでたの?」という意味に思えてきた。

「十人並みの人生」「借りてきた他人の言葉で語り続け他人の言葉を残して死ぬ」だけでは終わりたくない。おれはおれを生きるぞ。

読者の皆様方に置かれましては大変見苦しいものをお見せし誠に申し訳ございませんでした。ご迷惑をおかけいたしました。真摯にお詫び申し上げます。ご静聴ありがとうございました。

人間力が足りていない

人として終わってしまっている。オーバーウォッチで負けても怒ってはいけません。自分が何をしたいのか?結局のところ人によく思われたいだけでは?全然ダメじゃないですか。自分とは。他者とは。幸福とは。生とは。どうありたくて、どう目指したいのか。目的意識が希薄であり、目先の感情に振り回されているだけの動物である。辞めてしまえ辞めてしまえ、お前には何も無く、ただの一粒の砂つぶである。オーバーウォッチで勝てないのはお前が悪く、人生で勝てないのもお前が悪い。人のせいにするなと言いながら人のせいにするな。自分にとって何が正しいか考えろと言って他人の評価を求めようとするな。一番何も無くて小さくて醜くて空っぽで薄くて軽くて汚くて惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで惨めで哀れなのはお前だ。

【オーバーウォッチ】ついに赤字

皆さん、オーバーウォッチはやっていますか?やっているならすぐにやめたほうがいいですよ。

 

f:id:so821:20170806172916p:plain

ライバルマッチ シーズン5、ついに赤字が出た。

土日でおよそ40戦ほど。レートは1318→1292と推移した。今シーズンの天井であり虚無の週末という感じがある。

昨日の戦績は集計がだるいので割愛するが、日曜日だけで言うと16戦6勝10敗と大きく負け越してしまった。

後学のため、グーグルスプレッドシートに勝敗の要因を一言で書き残しているのだが、今日が終わって振り返ってみると10敗のうちの6回に「味方うんちトールビョーン」と書いてあった。

 

この土日の間ずっとレート1300前後を行ったり来たりしていたわけだが、防衛時の味方トールビョーン出動率が異常であった。どういうわけか、トールビョーン、次いでシンメトラがわんさか出てくる。おれは一年前のオーバーウォッチにタイムスリップしてしまったのか?

たしかに一年前は強力なヒーローとして君臨していたが、タレットのダメージは下方修正され、周囲のヒーローの性能も変動し、お世辞にも強いとは言えない環境である。それなのに、明らかに不利な状況にも関わらず集合の合図を出しても聞かず、逃げも隠れもせず新たなタレットを建造しようとする高齢者の姿を見ていると、今の日本の高齢化社会、医療費・年金問題が頭をよぎり、苦々しい気持ちになる。若者がなぜ貧困なのか?悪いのは本当に「最近の若者」のか?なぜ医療費は膨張するのか?なぜ出生率が上がらないのか?おれたちは本当に家庭を築けるのだろうか?家を買えるのだろうか?年金を貰えるのだろうか?おれたちの未来は明るいのだろうか?

 

勝った試合の所感を見てみると、「敵が萎え落ち サンキューブリザード」が2回、「敵うんちトールビョーン」が2回あった。自分の実力で勝ったというより、「勝たせてもらった」というほうがふさわしい。サンキューブリザード。今週末のレート1300周辺は、「うんちトールビョーンが居る方が負ける」環境であった。

なんとかして今シーズン中にシルバーに上がりたいが・・・・暗雲が立ち込めてきた。とにかく数をこなして少しずつでも上がっていくしかない。

どこかのブログに「シルバーは操作方法を覚えるランク帯です」と書いてあったがそんなことはありません。血のにじむような1勝1勝の積み重ねで辿り着く天上の世界です。どうしてそんなことが平気で言えるんですかね?情報発信者としてのモラルがないんでしょうか。お前はフジテレビか!電通か!バーカ!

 

すみませんでした。

晩御飯前なので、ビールを美味くするためにランニングしてきます。

ランニングをすると心身の状態が良くなります。オーバーウォッチなんかやってる場合じゃないですよ。今すぐにオーバーウォッチやめて家の外に出ませんか?

どうしてもガンダムバーサスの悪口を言いたい

週末だけはおれがヒーローだ!皆さん、オーバーウォッチやってますか。

 

すみません、ガンダムバーサスの悪口を言わせてください。次からはちゃんとしますから…

 

ガンダムバーサスのモチベーションが完全に無くなってしまった。ここまで早くモチベーションが無くなってしまったゲームは数年ぶりである。(前回はDSかなにかのFFのよくわからないアクションRPGみたいなやつ。買った翌日に売った。3000円ぐらいで買い取ってもらった。)今回については数ヶ月前からずっと楽しみにしていただけに落差がすごかった。

具体的なゲンナリポイントで言うと、「ストライカー」「ブーストダイブ」という二つの基本操作の追加・オフラインモードのショボさ・友達と対戦するモードが無い、の3点が挙げられる。基本操作の追加が思っていた以上にしんどく、ブーストダイブについては「出来なければボコボコにされるし、出来たところで敵に攻撃が当たらない」というストレスが尋常ではなく、心が駄目になってしまった。このゲーム続けられる初心者いるの?

後ろの二つもまあまあ致命的だと思う。オンライン対戦で見ず知らずのオタクにボコボコにされて、何か違うことを…と思っても他にすることがないのである。"敗北"以外にやることがないゲーム、誰が続けるの?

 

あまりに勝てず、ストレスがだいぶヤバかったのだが、今週の前半くらいまではそれでもなんとか頑張ってみようという気が残っていた。そこでいわゆる「強機体」がどんなものかと思って強い人のプレイ動画を観てみたが、「ピョン格ステダイブ」と呼ばれるキモい動きで(名前もキモい)飛び回りまくっているばかりであり、「楽しそう」「おれもこうなりたい」という気持ちが掻き立てられることはなかった。キモい動きをしながらゲーム実況者が「あ〜この機体強すぎますね〜これ〜ヤバいっすね〜」と言っているのを聞き「えっ、オタクキモ…」とドン引きしてしまい、ついにおれはガンダムバーサスを辞めてしまったのであった。

オーバーウォッチは一年以上経ってもまだ辞められていないのに、ガンダムバーサスはなんと二週間で辞めてしまった。とても難しいゲームだった。長続きする初心者は居るのだろうか……

今作は初代EXVSを遊んだ時のワクワク感が全く無く、製作者からガンダム、ひいてはゲームそのものに対する愛が全く感じられず、オタクから金をせびろうという汚さしか感じられない悲しいゲームだった。ツレと一緒に買ったので流石に売るとまでは言わないが、しばらく起動することはないだろう。さようなら…

 

ここまで数回にわたって散々ガンダムバーサスの悪口を書いてきたが、今思えば、ガンダムバーサスをやりながらも常に心のどこかにオーバーウォッチがいた。

おれはオーバーウォッチをやる理由を探していただけなのかもしれない…

ありがとう、ガンダムバーサス…

戻ろう、オーバーウォッチへ…悲しみを超えて…

 

オーバーウォッチバラモスゾンビ オリジンストーリー 完〜

「やりたいことがない」は悪なのか?

立て続けの呪詛、申し訳ございません。何卒ご高配賜りますようよろしくお願い致します。

 

「やりたいことがない」は悪なのか?

今日、仕事の関係で上司及び仕事の人と会を共にした。IoTで株で進退問題でテーマだった。このところ仕事のガチ勢と話をする機会が続いている。メリットでパフォーマンスで御社の強みは?社会人とは何なのでしょうか。

 

「やりたいことがない」は悪なのか?

全員にやりたいことがありやりたいことに邁進する世界があるとしたら全てのやりたいことはできたことに変わり、不可能が可能になるスピードは加速度的に増加しやがて全ての価値は既存になり無価値になります。即ち人間は無価値になる恐れがあり学会はこれを危惧してします。やりたいひとにしか賃金が払われない世界があったとしたら、やりたくない人は生命を維持するための賃金を維持することが出来なくなりこの世から去ります。これは自然による淘汰ということになりますが、すると次はやりたい人の中の最下位の人はやりたいのに賃金を与えられないということが起こり、これはまた生命を維持するための賃金を維持することが出来なくなり、この世から去ります。すると、賃金及び生命を維持できる人というのは限られることになってしまう。では、やりたくない人を等しく助けようとすると、やりたくなくても賃金を得られるということになり、すると、やりたいと思っていた人は「なあんだ、やらなくてもいいんじゃん」となり、やりたくなくなってしまう。すると生まれるのはやりたくない人ばかりの世界で、そこは皆がやりたくないので、生命を維持するための社会を維持できなくなり、全員がこの世を去ります。

 

おれはやりたくないのだが、やりたくない人間が賃金を貰ってはいけないのか。いずれは賃金を貰う権利を奪われると思わなければならないのか。では、将来賃金を貰う権利を継続できる人間とは?金はいくらあっても足りないが人生は有限。誰が賃金を貰うに値して誰が賃金を貰うに値しないのか。誰のための賃金なのか?つまるところ年収の後ろにゼロが何桁あるかという量的な問題ではなく、いかに生きるかという質的な問題になってきます。量的な問題でしか考えられない人は物理界から解脱できておらず、デカく、多く、重ければそれが強いというものさしで生きています。やっていけていますか?何なのでしょう。生きたい。生きることはそんなにも難しいことですか?

 

例えば、毎日のように終電を過ぎても仕事をしているのが当たり前だという話があります。何のために生きていますか?死とどこか違うところがありますか?かつてそうした死を乗り越えて偉くなった人がいるとして、あなたの死は必要だったのか?命の価値に優劣はないが、その死は果たして必要だったのだろうか?では、毎日の死を当たり前でないと思っている人間が毎日を当たり前に生きることは生なのか?死を知らぬ生は生なのか?実は死であるというケースもあるのではないか?

 

「やりたくことがない」は悪なのか?

 

善を知らぬ悪は悪なのか?悪を知らぬ善は善なのか?

インターネット隠居のススメ

こんばんは。皆さんは、インターネット大丈夫ですか?

いきなり異常者の問いかけ、恐縮です。

 

実は、皆さんご存知の通り、このブログはそもそもインターネット隠居の一環として始まったものです。(詳しくは第一話を参照)(そんなことを知っているのはおれ一人しか居ない)

 

インターネット隠居とは何か?インターネットには居ながら、俗っぽいインターネット、すなわち俗インターネットからその身を遠ざけて人生、すなわちインターネット人生を送ることです。

 

昨今のインターネット、目に余ること甚だしい。インターネットではない、メディアと名のつくもの全体が、口を開けば「SNSで人気の」だの「SNSに載せたい」だのと言う。

しまいにはレジャー施設でのテレビのインタヴューに「Instagramに載せるために来ました!」などという白痴が現れる始末である。

 

皆さんは、自分の人生を生きて居ますか?Instagramに載せるために生きることは自分の人生を生きることですか?あなたがやりたいことはなんですか?成し遂げたいことはなんですか?InstagramFacebookでバズでキュレーションですか?恥ずかしくないの?親に謝れ

 

インターネット隠居とは、インターネット馬鹿から身を遠ざけインターネット輪廻から解脱し、現実としての自分であり実存を尊重し自分を生きることです。Instagramのために来ましたは消極的な自死ということになります。価値観の相違による離婚や音楽性の違いによるバンド解散などの弊害。

 

やり方の教示です。TwitterInstagramFacebookを消します。YouTubeニコニコ動画を消します。その他あまり起動していないアプリを消します。人生に目を向けます。何でもかんでも在宅で安価で手に入るというのは非常に不健康で、不健康を感じた私は月4000円を払って日経新聞を購読することになったわけですが、日経新聞はあらゆるSNSよりも情報の質が高く、一日に何時間もSNSに時間を費やしあまつさえ投稿する写真の加工などに更なる時間を費やす奴はこのあと事故を起こすとわかっている車に、喩えをやるのが面倒になったのでやめます。昨今のインターネット、の件wwwwwwwwwwwwwした結果wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww【驚愕】とのこと。人間の価値がストップ安だという一説があり学会はこれを検証しています。人間の価値とは?テレビは既に死後硬直が始まっています。価値とは?valueとは何か?死は最早概念としてではなく具体的な状態としてそこまで迫っている。

 

皆さん、自分を生きてください。具体的に言うと、一人でやよい軒に昼飯を食いに行って、飯そっちのけで机に置いたスマホを覗き込むのは惨めだし汚そうなのでやめたほうがいいですよ、ということです。つまるところ価値観が大切だということになります。人生、やってますか?やってないのなら、人間になれなかった存在にその権利を譲ってあなたは今すぐ死ぬべきだ

【オーバーウォッチ】ガンダムバーサス正直しんどい

またしても週末が終わってしまった。こんなに悲しいことはない。

週末の密かな楽しみとして、「夕方のランニングと風呂」というのに最近ハマっている。なんのことはない、夕飯前に20分ほどランニングし、アホほど汗をかいたあと、風呂にしっかり浸かってさらにアホほど汗をかくという0円アクティビティである。真夏のクソ暑い時期にこれを行うことで、体内の水分がほとんど抜けてしまったのではないかというぐらい汗が出る。そこへキンキンに冷えたビールを流し込むと最高、という寸法だ。このアクティビティの何がすごいって、ほんの20分だけ家の周りを走るだけなのに、風呂から上がったときには何か今日一日すごいことを成し遂げたかのような気分になるところである。今日は何をしていたかというと、ゲームです。それ以外に何もしていません。

 

f:id:so821:20170730235847j:plain

タイトルにもある通り、今日も少しガンダムバーサスをやったのですが、正直しんどくなってきた。覚えることが多いし10回に1回勝てるか勝てないかみたいな世界なのであまりに虚無。勝っても負けても何がどうだったのかわからないしわかろうとすると莫大なエネルギーがかかりそうというそういった状況です。

と、いうわけでオーバーウォッチに私は帰ってきた!上に示しているのはスキルレートの遷移です。前にグラフを見せた時はたしか、至る所に「オーバーウォッチ ライバルマッチ シーズン5」と書かれまくっている非常にオシャレな仕上がりだったのですが、今回はGoogleスプレッドシート技術が少しアップしたため、縦軸のタイトルを「スキルレート」とすることができました。しかしなぜか「トーレルキス」となっており驚いているところです。みんなもGoogleスプレッドシートでオシャレなグラフを作ろうな!

 

今日は一応勝ち越すことができたのだが、うち3勝は1本目先取後の相手チームのメンバーの離脱(タイミング的に恐らく萎え落ち)によるもので(とはいえ1本目の雰囲気的にそのまま続行しても勝てそうな感はあったが)、なんとも複雑な気分である。発売から1年が経過し(経過しましたよね?)、和気藹々としたライトユーザー層はヒーローごっこを卒業、この世界は性根の腐ったオタクばかりになってしまったのだろうか。オタクは部活動をしてスポーツマンシップを学んでからゲームをしろ。インターネットのニュースでライバルプレイのバッドマナーの厳罰化がどうのこうのというのを見たので、拝啓ブリザードエンターテインメント御中、早々に手を打っていただきたいところである。

 

もう一つのトピックス。ドゥームフィストがリリースされた。まだライバルマッチでは使えないが、少し触った感じ、かなりガシャガシャしてて楽しそうだった。上から落ちてくるデスブロッサムがしょっちゅうプレイオブザゲームになるのだから、FF9フレイヤのジャンプみたいでかっこよくてたくさんキルとれそうな必殺技が流行らないわけがない。小学生のサッカーよろしく密集が日常の低レート帯でAoEが弱いわけがない。脅威がまたひとつ増えそうである。

通常攻撃はあまり圧が無く、スキル依存度が高そう。ハックされたら何も出来なくなりそうな感じがあるので相対的にソンブラの評価が上がるなどして環境に動きを作ってくれたら面白いなと個人的に思っている。ソンブラ、使おう使おうと思って全然練習してません。練習したい。

 

まあ、そんなこんなでまたオーバーウォッチに戻りそうな雰囲気である。シーズン5は1ヶ月。なんとかシルバーになってシーズンを終えたい・・・・。